(引用開始)
“信頼の上”に高齢化を迎える原子力発電
柏貴子●福井大学大学院工学研究科原子力エネルギー安全工学専攻地域・交通計画研究室
矢島真由美●福島県大熊町婦人会会長
(写真左から矢島、松浦理事長、柏の各氏)
当初30年の寿命と言われていた原子力発電所が、運転開始から40年を迎えることに疑問を感じる人も多いだろう。何故延びたのか、安全をどう担保するのか、また地域住民はどのように捉えているのか。見えて来たのは高経年化を契機に、信頼の上に立った新たな地域作りを模索する“原子力第二世代”の姿だ。
●寿命はどう決まる?
一美浜1号機、福島第一の1号機は運転を開始して40年を迎えます。営業運転開始当初は寿命は30年と言っていましたが、寿命がどんどん延びています。当時どのように考えられ、どこまで寿命は延びていくのでしょうか。
松浦理事長:1990年代の中頃、原子力発電先行国で初期原子炉の運転経歴30年が視野に入り始めた頃から、それらの国々やIAEA(国際原子力機関)で原子炉の寿命をどのように評価するかの議論が盛んになりました。IAEAではINSAG(International Nuclear Advisory Group)がこの頃この問題を集中的に議論しました。INSAGというのは世界から招集された十数名の専門家が世界共通の重要な原子力安全問題を議論し、その結果を事務総長に勧告するというグループです。このグループは1999年に「原子力発電所の運転寿命の安全管理」という文書(INSAG-14)を出し、これがIAEΛの安全原則に取り入れられ、加盟各国の参考にされました。我が国でも同時期に当時の資源エネルギー庁の該当部署が高経年化にたいする基本的考え方を纏め、それを原子力安全委貝会が了承しています。
一番の問題は原子炉の寿命はどのくらいなのか、それをどう評価するかですが、原子力を導入した当初は経験もなく、はっきりしたことが分からないので、寿命(これ以上は利用できないという年月)とまでは決めていません。国によって考え方が違い、アメリカは建設許可と運転許可を別にして、40年の運転期間を想定して設計・建設するということで建設許可を出す。建設出来た時に検査をして40年の運転許可を出すというやり方です。当時、運転許可期間を30年にするか40年にするかでかなりの議論があったそうです。日本は建設する時には長期の運転許可や寿命を与えてはいませんが、毎年検査をしてさらに1年間運転しても大丈夫か健全性確認をして運転を続けて行く方式なので、寿命がはっきり定められてはいません。健康診断をして大丈夫なら活動を続けるという考え方です。
一般的に、十分に経験が積み重ねられた工作物を設計する場合は、用途や価格を考え、寿命はこのぐらいあれば良いと設定して部品を作ります。しかし、原子炉の場合は大阪万博に向けて、敦賀1号機から初めて電気を送ったのが1970年です。その当時は30年を寿命の目処にすると言っても何が寿命を決める要因になるのかはっきりしない状況でした。運転経験を積む中で故障や不具合が起こり、またその原因も分かってきました。30年経って見直してみると、最初に考えたよりも原子炉は長く運転できることが分かり、考え方を整理して確認しようということで、議論を重ねて高経年化対策の標準が作られました。
原子炉を設計するときにそれぞれの部品の必要強度を決めて設計しますが、その段階で余裕を持たせます。重要なのはどの部品がどのように劣化していくかを確かめることです。どの部品が確認の対象になり、どういう方法で確認するか。その結果を評価して、余裕がどの程度あれば大丈夫なのかを判断する仕組みを定め、それに従って運転していこうということになりました。すると30年では健全性にまだ十分余裕かあることが分かりました。それで30年目から10年ごとに建設当初のような健全性確認(定期安全レヴュー)をやって、その間は13ヶ月ごとに検査をし、健全性が確認されれば継続使用を認めるということになりました(平成21年4月より運用、原子力安全・保安院:新検査制度)。運転開始から60年程度までの検査等のやり方は、どこがどう衰えるかは部品によって異なるので、研究結果を総合して決めていきます。
一寿命をどこで判断するのでしょうか。
松浦理事長:交換できる部品は適宜交換すれば良いのですが、交換できない部品、例えば圧力容器等の衰え方が寿命判断のキーポイントとなります。そのために建設時に圧力容器と同じ材料のクーポンと呼んでいる金属試験片を、圧力容器の壁に置いてあります。圧力容器本体と同じように中性子照射を受けて劣化するので、一定期間ごとに取り出して検査をし、健全性を確認していくのです。当初は原子炉がそんなに長く保つとは思っていなかったので、試験片数が寿命以前に足りなくなるのではないかと、取り出した試験片を再度使って評価できる研究が必要になってきました。
また意外に難しいのは、測定や電力供給等に使われている電線の絶縁体劣化でも電線は高経年化により絶縁不良を生じる可能性があります。交換の容易な部分は問題ありませんが、重要な電線が配管内に配線されて、詰め物で固定されているような部分は交換しにくい。寿命に影響する重要な部品だと思います。それから、原子炉容器内の重要構造物や重要配管の応力腐食割れに対する健全性確認も重要です。あとは遮蔽体のコンクリートですが、温度が高くならないように冷却しているので、それほど劣化はしません。衰え方を確認しながら寿命を決めていこうということです。以上の技術的な理由以外に、経済的な寿命条件もあります。年次が経ちすぎますと運転維持のコストが上がりすぎ、経営的に成立しないようになりますから。
柏:美浜の町民40人程度に、この問題についてヒアリングしたことがあります。意見は多種多様ですが、大きく分けると①自分たちが意見しても運転は決まってしまっているので、しっかりやってくれれば良い、②「当初の話は30年だったのに、話が違う、③安全性については何度か説明を受けたが、地元のことを考えると運転延長より後続機を入れて欲しい、となります。運転延長が、コスト的に後継機を入れるよりも良いのでしょうか?特に美浜1号機は34万キロワットと発電量が少ないので、新しいものにして発電量を増やしたら良いのではないかという思いが、住民の中にもあります。
30年とは分からなかったというお話でしたが、多分、建設交渉の時には30年と言われていたのだと思います。安全確保のための説明は受けますが、寿命が延びることになった経緯があまり説明されていない気がします。
松浦理事長:30年と最初は言ったというのは、それ以外言いようがなかったのでしょう(笑)。世界的にもそれほど経験も知識もない段階で、原子炉以外の工学的な経験から判断して30年程度だろうとしか言いようがなかった時代です。そうおっしゃる人に対しては、素直に頭を下げて「当時はその程度の知識しかなかったが十分に余裕を考えて設計・建設をしました。使っていくうちに知識も手に入りました。判断手法も分かったので、この先使ってもご迷惑をかけることはないと確信しますのでご理解下さい」という話をしたら良いと思います。
二つ目の運転延長か後継機かについては、事業者自身も考えていると思います。世の中の電気の必要度合い、技術の進展度合いを考えると、美浜1号機が退役したあとには大型化していこうとするのは、事業者としては当然の考え方だと思います。事実、経済産業省がイニシアティブを取って、電力、重電メーカーが協力しながら次世代軽水炉を開発しようという活動が始まっています。次世代炉の出力は最大180万キロワット、寿命も80年位を目指しています。技術的にもどこかを根本的に開発しなくてはいけないというものではないので、ひどく難しいことではありません。経営的に成り立つのであれば、新型炉への移行という流れになると思います。
地元が「しっかりやってくれれば良い」というのは、多くの平均的な人々の意見だと思いますが、今の世の中、心配なところがあるというのなら、とことん話を聞いて納得できるまで説明をお受けになったら良いと思います。事業者も国も説明する気持ちは十分に持っていると思います。
矢島:福島第一、第二の立地4町(双葉、大熊、富岡、楢葉)の役場関係者、商工会、婦人団体、区長、青年部、関連事業者、マスコミが集まった情報会議を設置しており、そこでも高経年化に対する質問が多く出ます。検査制度も含めた多くの資料をいただき説明を受けます。先月は伊方原発に見学に行きましたが、まだまだ知らないことが沢山あります。会議を通じて逆にまだ知らないことが多くあり、勉強しなくてはならないことに気付かされます。
町民の多くは、原子力がなくなってしまっては働く場もなくなるので困る。東電による平成14(2002)年の点検・保守作業の不適切な取り扱いのときは、私たちも不安になりましたが、その後の各戸訪問等で、今はむしろ信頼は増していると思います。高経年化に関する説明も行われています。車の車検と同じように検査をして劣化した部品があれば取り替えて運転していくという説明は、「それなら安全だろう」という人も出てきています。まるっきり原子力のことを知らないおばあちゃんは、「何かあった時に作業員が隠れるシェルターはあるのか?」と質問されましたが、車検の話で納得されたようです。高齢者者の方“もったいない”という気持ちが強いので、納得して頂ければ受け入れられるでしょう。
発電所が動いていれば、子供たちの就職先もあり、外に働きに出ないで地元に残ってほしいと言う思いがあるので、親世代も高経年化について詳しく知りたいという人が増えてきているのは喜ばしいことです。“知らせる義務と知る権利”があると思うので、広報はどんどんやっていただきたいです。
婦人会でも年間行事のなかに、オフサイトセンターや原子力センターの見学を、学習の機会として入れていこうと2010年から実施していますが、一番効果的なのは学校や地域での触れ合いの中で、東電社員の顔が見えることです。人を知ることで安心できます。当初はボランティアで行われていましたが、今は仕事の中で、社員それぞれの得意分野を活かした活動をなさっています。活動を通じて子供たちが原発や東電に対する興味を持ち始め、就職したいというきっかけにもなっています。
●信頼関係を武器に
次世代地域づくり
一高経年化か大きな騒ぎにならずに地元に受け入れられるのは、40年間の日々の努力によって信頼が確立されたことが大きいと思います。安全を第一に考え、原発が地域の産業として地城振興にどう役立っていくのかは大きなテーマです。福井県の場合は若狭湾エネルギー研究センターをつくり、平和利用の面から教育、医療、産業等に役立てようとしています。福島県の方は代表的なものはJ.ヴィレッジと、異なる形で地城振興、貢献を考えています。
松浦理事長:柏さんの研究発表の中に「地域で原子力施設を地域資源としてどう考えたら良いか、という視点が大切」という指摘がありました。非常に重要な問題です。原子力施設は、地域にとってどういう意味を持つかは、当該地城の過去の歴史的また社会的経緯からできている、社会的環境によって違うのだと思います。地城の在り様をベースにしながら、どのように原子力施設を考えるかを決めていく、創り出していくことは、長く共生して行くための大切な方法ではないかと思います。
東海村を考えると、原子力研究開発の拠点として多くの原子力施設が設置されました。日本原子力研究所ができるまでは人口約1万6000人だったのが、施設ができるごとに膨らんできて、今は3万6000人位です。村の労働人目の約3分の1が原子力に関係した仕事に従事しているようですから、親戚縁者を含めると相当数が原子力と共生している姿ができ上がっています。世界の中でも珍しいケースで、一つのモデルとしては成り立つでしょうが、どこもかしこもという訳にはいきません。
とは言え、原戸力の使い方は何も電気を作るだけではありません。放射線や放射性物質を使ったりして他の産業と結びつける、あるいは文化的活動につなげることもあるでしょう。青森県の下北半島等は農業には厳しい自然環境ですが、原子力施設が数多くあります。私は農業に原子力が活かせる道筋を本格的に考えてはどうかと思います。そうすると資源化そのものが成り立ちます。都市部の野菜工場で作られる高価格の野菜は、水と電気があればできますから、高付加価値のある農業製品を、原子力があることを利用して作る工夫をしてもいいのでは無いでしょうか。
もう一つは福井県の選んだ研究開発機関をつくり、多様な道筋を探って定着させていくことです。発電事業だけに限りますと地元にできる経済活動はメンテナンス作業しか考えられません。
原子力の特殊なところは、使用する機器や材料は、大工場や特別な材料を扱えるところでないとできません。それを地元に持ってくるのはかなり難しく、現実的ではないと思います。むしろ原子力発電所から出る排熱利用等と結びつけるような産業を興していく可能性は無いものでしょうか。
また、原子力発電所立地地点では人を集めて、教育・知的活動を楽しめるようなセンターを考えるのは、どこの地域でもできると思います。
矢島:福島原発地域で何が足りないかを考えると、電気にしても農作物にしても外に出す事はたくさんありますが、外から入ってくる事が少し足りない気がします。特に大熊町はJ.ヴィレッジの隣町なので福島第一と第二を比べると、J.ヴィレッジやエネルギー館もあり、華やかさは第二に、持っていかれている感じでしょうか。(笑)。
松浦理事長:逆に考えると、何も無いというのは一つの武器です。真空には大変なエネルギーがあるとも言われます。例えばサファリパークは何も無い広大な自然環境がないとできません。何も無いお蔭で、自然と触れ合うことが出来るわけです。何もないことを活かしたことを考えるという発想があっても私は良いと思いますよ。
柏:福井県はエネルギー関係の研究所を誘致する方向です。若狭湾エネルギー研究センターができたことで雇用も増えているでしょうし、認知度も上がったと思いますが、難しいのは地元の人がどうかかわれるかです。現状は優秀な人材が来ても任期が終わると戻ってしまいます。地元の人もどういう研究をしているかは知っていても、イベントのときに1回行ったことがあるかないかという程度です。経済効果は分かっていても、地元の人が働いているという意識はなく、今後原子力はもう必要ないとなった場合の町や市の自立を考えたときに、このままではいけないと感じます。
今後地元の人が中核に入っていけるようになることも必要ですが、地元にしかないものは何かと考えると、40年かけて築き上げて来た信頼関係です。今までは信頼関係を築くことが重要だったと思いますが、これからは活かす方に持っていけば良いのではないか。電力会社や研究所で働いているのは頭の良い人なので、人材を活用してアイデアを出してもらう。外部の目から地元を見てもらうと、地元の人が普通に感じる風景でも感動したり、逆に何が足りないかも分かります。正直、今までは電力会社の人が何かを提案したりすると、「やってくれるのか?」という話になってしまい、アイデアを出せなかった部分もあったと思います。そうではなく地元と一緒に何ができるかを考える。信頼関係があればこそ可能だと思います。
住民も40年かけた自分なりの共生感、安心感があり、価値のあるものではないでしょうか。そこを発信していけるような町になれば、町のアイデンティティーにもつながるのではと思います。
矢島:東京電力の方も、転勤して再び大熊町に戻って家を建てるケースが多いようです。地元の社員が、町のいろいろな委員になり活躍しています。県外から人が来て原子力施設だけを見て帰ってしまってはつまらない、地場の野菜や養殖ヒラメを買ってもらう。買ってもらうだけでなく、地元産の食材を使ったカフェもあると良い。ペットと遊べるドッグランはどうか?などのアイデアが出て来て、膨らんできています。良い所を知っている人が参加することで、地元住民は気付かなかった観光資源を見いだせることもあります。
また町のボランティアセンターでは、電力会社や関連会社の社員が自分の得意分野を登録して、地元の子供たちの講師に迎えるなどを行っています。彼ら自身も仕事以外に生き甲斐を見つけられたという話を聞くと、ありがたいですね。
柏:人が移動することは、チャンスにもつながるのですね。メンテナンスに来てくれた人に対し、どのように町をアピールしてリピーターになってもらえるか、定年退職後に住んでもらえるような町づくりをしていくかというのは、地元が考えなくてはなりません。
松浦理事長:地元では当初は不安を持ち、理解のレベルが上がってきて受け入れを決め、原子力が地域のひとつの基盤となってきたというのは、社会的に資源ができたということです。人間関係に重要な信頼関係ができつつあることを、電力会社や国がまず認識することですね。今までは行政や電力会社の人は、とにかく安全に原子力発電所を動かすことに必死で、そのための広報もしてきたと思います。地元の方からすると、説明されることはある程度分かっても、難しいことは分からないというのは当たり前です。にもかかわらず受け入れ状況ができてきたのは、真面目に仕事をしている人だからと、人を見ている部分が大きい。そこを関係者は再認識して、社会活動を活性化するために、それぞれが何ができるのかを考え直すことから、第二世代の原子力地域を創り出すと考えれば良いのではないでしょうか。
高経年化の次に、原子炉を動かすのは経済的に不合理だとか、安全面からこれから先は動かさない方がよいと判断されるようになると、解役して原子炉を解体することになります。それは発電事業にひけを取らない大きな事業になります。福島県も福井県でもいずれは解役になる原子炉が何基もでてきます。次の原子力世代を作っていく活動の中で、原子炉解体も組み込んでいかなくてはなりません。原子力が社会の重要なインフラストラクチャーとなりつつある現代の社会が簡単になくなるわけではないし、無くするわけにもいきません。社会設計を多面的に行っていく必要があるでしょう。お二人の今後のご活躍を心から期待いたします。
(出典は不明)